無知識の図書館

知識もない大学生が書き連ねる意味もない愚痴や日々のあれこれです。

ちょっとマザコンでごめんの話

こんにちは

 

一人暮らしなのに家に野菜やらお肉やらがひとつもない男です。

 

一応下宿に住んでるんだけど飯だけ出る一人暮らしって感じで

 

今は飯いらないですって言ってるからでないんだよね。

 

にもかかわらず一切お買い物とかしない強さ。

 

さて、今回は少々重くなりがちかもしれないですが

 

母のお話をしようかなと。

 

高校三年生の12月19日に俺はお母さんを亡くしました。

 

がんでした。

 

その年の3月あたりに左目に異常が出ておかしいと思ったらがんだった、という感じです。

 

しかも、そのがんは転移したがんで肺がんがメインでした。その3月に一応余命半年と言われました。

 

正直なところ俺は学校が楽しすぎたのとあまりにも急な出来事で実感は全然ありませんでした。

 

お父さんが色々調べてお母さんと相談した結果、

 

手術でも抗がん剤治療でもなく自然治癒で親戚や友達にも知らせず

 

実はこんなことがあったんだけど今はもう治ってピンピンです!

 

という感じで知らせようと決めました。

 

家族4人の秘密にしようという感じです。

 

実家は自営業でお父さんとお母さん二人で飲食店をやっていました。

 

だんだんそれを続けるのも厳しくなり、

 

お店が一番混む8月を超えて10月に一時休業という形で治療に専念することにしました。

 

それ以来お店を二人でやることはできませんでした。

 

股関節にも転移してきて歩くのが厳しくなってきて初めてあれ?

 

少しやばいかもと思い始めました。

 

息をするときも肺に水がたまっているような感じでゴロゴロという音が聞こえました。

 

背中をさすってほしいと言われたので必死にさすることをしました。

 

俺にはこれしかできないと思ったからです。

 

しかし不幸は続くもので11月の終わり頃の朝、

 

俺は学校にいてお父さんが洗濯をしてたときにお母さんは椅子に座ってゆっくりしてました。

 

そこでお母さんがくしゃみをしたときにギックリ腰になってしまったのです。

 

それからというもの一人で歩くのはほとんどできなくなってしまいました。

 

そして12月17日の夜に発作が起きました。

 

しょっちゅう発作は起きていたので、

 

最初はお父さんに任せて俺は受験勉強をしなければと思っていたのですが

 

ついにお母さんが救急車よんでと自分で言いました。

 

全然そういうことを言わないお母さんだったので驚きました。

 

さすがにやばそうだと思い急いでお母さんのところにより背中をさすりました。

 

大丈夫大丈夫と声をかけながら背中をさすりました。

 

苦しいと言って俺の左のズボンの太ももをぎゅっと握りました。

 

実はそれが俺との最後の会話になりました。救急で病院まで運ばれました。

 

お父さんは夜から朝までつきっきりで看病してました。

 

それでもお母さんは苦しくて眠れず

 

少し強めの薬で眠らせることにしたそうです。

 

薬を打つ前にお父さんが実家に電話するか?

 

と訪ねたら嫌だと言ったらしいです。

 

これが父との最後の会話になりました。

 

そして、お母さんは眠りました。

 

その夜にお父さんに

 

「一緒に年は越せない。会いに行ってこい。まぁあと二、三日は大丈夫だ」

 

と言われ会いに行くと、

 

そこにいたのはチューブに繋がれて苦しそうに寝いてるお母さんでした。

 

初めてこらえていた涙が溢れでました。見た瞬間に明日持つのかすら疑問でした。

 

家に帰りひとまずあしたも学校があるから寝ました。

 

夜中の2時ごろに一本の電話がかかってきてお父さんが呼び出されました。

 

お前は学校があるから寝てろといわれ家に残されました。

 

正直寝れるはずもなく夢と現実の狭間にいるような感じでした。

 

そして、5時半ごろにまた電話がかかってきました。お父さんからでした。

 

とりあえず病院に来いといわれ、

 

俺は最初容態が安定して最後の会話になるかもしれないからこいみたいなやつかと思って

 

走って病院に行きました。

 

ちなみにそれ以来夜にかかってくるシンプル電話の音がトラウマになりました。

 

音を聞くだけで少し発作が起きる感じ?

 

知り合いの警備員さんに黙って背中をぽんぽんされ何事かと思いつつ病室に行くと、

 

片付けが始まっていました。

 

知り合いの看護師さんに安らかな顔して寝てるよといわれ見た瞬間に初めて、

 

あ、いなくなったんだ。

 

と察することができました。

 

泣きじゃくりました。

 

人生でこれだけ泣いたことなんてないくらい泣きました。

 

お母さんの遺体とともに家に帰り、

 

お父さんは役場に色々手続きに行きました。

 

家で二人になったときに叫びました。

 

アニメキャラかよってくらいくそ!なんでだよ!なんでこんなにふざけた犯罪者だのクソ人間がいる世の中で真っ当に生きてきたお母さんが死ななきゃダメなんだよ。

 

という感じで。そこから1、2ヶ月は立ち直れませんでした。

 

心から笑うことができなくなりました。

 

これという転機はありませんでしたが2月の中旬くらいに立ち直ることができました。

 

友達がいろいろしてくれたから徐々に立ち上がれたのかな?


こんなに長ったらしい話を書いて何が言いたいかっていうと

 

親を大事にしようってことです。

 

俺はお母さんが生きてる間一度も抱きしめたことがなかったし、

 

心からの感謝を伝えたこともなかったから後悔しかのこってないです。

 

思い出すだけで悔しくて涙がでます。

 

だからほんとに親を大事にしてほしい。

 

俺も一人になったお父さんを毎日気にかけてる。

 

感謝もちゃんと伝えてる。

 

最近思い出すことがあって、

 

昔書いた文章があったからコピペした感じです。

 

お母さんも俺もお笑いが好きで、

 

真似すると笑ってくれて、

 

お笑い見るよりも俺がやってる方が面白いとまで言ってくれて、

 

そんな日々が懐かしい。

 

でももう戻ってくることはない。

 

アトピーのおれが夜痒くて眠れない時に

 

隣に来て背中をさすりながら

 

かかないの、大丈夫。

 

って言ってくれたことで安心して眠れた。

 

でももう痒くてもささってもらえない。

 

お父さんの友人によく言われたのが

 

あんたのお母さん基準で世の中の女の人を見ちゃダメだぞって

 

ごめんだけど確かにそうなんだよね。

 

顔完璧、家事完璧、話しやすくて、優しくて、

 

や、こえられないですわ。

 

すごいマザコンで引くかもしれないけど

 

それくらい好きだったし、今も好き。

 

何度も言うようだけど親を大事にしようって話。

 

昔書いた文章読んでちょっと俺も目が覚めた部分もあるかなって。

 

これは俺の人格形成に関わった重要な話かなって。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

まぁ、本日のまとめといたしましては

 

パーマがかかった髪の毛が落ちてるとまじで見分けがつかないってことです。

 

台無しにする感じが好き。

 

以上。